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内山信二のしくじり先生 子役時代から非行まで さんまが救った言葉とは

元人気子役だった内山信二がしくじり先生となって登場。子役当時内山が、金銭感覚崩壊、大人をナメきった
子供だったピークから、人生のドン底に落ちるまでをご紹介!

2015年11月2日放送の「しくじり先生」から


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内山信二のプロフィール



生年月日:1981年9月25日(34歳)
身長・体重:174cm・100kg
職業:元大人気子役
芸歴:28年

有名な番組だった「あっぱれ さんま大先生」(1988年~)で、子役として出演

このころ1年間に行った焼肉屋の回数は250回に達していた
10歳の月収は最大で3000万円

しかし、6年後の16歳の時に、ご飯に焼肉のたれをかけて食べるド貧乏生活になってしまう。そのときの経緯は、芸能界の仕事ゼロ→友だちがいなくなり高校中退→外出が怖くなり引きこもり というものだった。

大人をナメていたころ



テレビ局に住みつき、高級な肉を食い荒らす。困っている大人が大好きで、さまざまなイタズラをしてはケラケラ笑って逃げる、叱ると鳴き始め偉い人に言いつける

【内山が子役で成功した理由】

まず最初は、さんまの目に留まる。番組『あっぱれさんま大先生』のオーディションを受け合格。ちなみに同じ時期に受けていた安達祐実とえなりかずきはオーディションに落ちている。

理由は礼儀正しかったから、内山は父親にハンバークを食わしてやると言われ、連れて行った先にハンバーグないため、駄々をこねたら、サンマの目に留まったのだ。


【6歳で既に金銭感覚崩壊】

理由は、所属していた事務所が、ギャラを現金の札束で手渡ししていたから。

心境の変化が出始める
親に注意されたとき、『僕アンタたちより稼いでるんですけど』

また父親の方も変わっていき、営んでいた魚屋で魚を仕入れなくなった。開店するが魚はいない。

そして毎日現場に付いて来るようになる。→内山は6歳にして一家を支える大黒柱となった。



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小学1年生の内山信二


あっぱれさんま大先生が人気番組になり、内山の人気もアップ。このときのお小遣いの金額は1回5万円。ちなみに小学生の1か月の平均は510円だ。

そしてお小遣いの使い道は、駄菓子屋での棚買いする。しかし駄菓子の値段はしれたもの。使い切れないときは、女子を連れて行き『この1万円で好きなだけお菓子買っていいよ』と成金社長となっていた。

この時の女子はチヤホヤしてくれたという。この経験から内山は、女は金持っている奴が好きなんだと思うようになる。

金銭感覚の崩壊で女性の見方まで変わった小学1年ってなんなんだ!!


小学2年生の内山信二


さらに仕事は増え、収入もアップ。

このとき代表的な買い物は、おもちゃ屋さんでレゴを街買いする。ちなみにレゴの街買いとは、店に展示されている街の風景をすべて買うことである(約30万円)

そして買ってきたレゴは自分で組み立てずに、マネージャーにやらせていたという。そのほかにも、宿題をやらせたり、家庭教師の授業を代わりに受けさせたりと、大人をアゴで使う手に負えない子役になっていた。

更に被害は番組スタッフまで及び、ADをエアーガンで撃ったり、竹刀で顔をグリグリしたり、瞬間接着剤をくつに流し込み脱げないようにイタズラをしたという。


小学3年生の内山信二


9歳の内山は業界に染まり、業界用語を使うようになる。

そして、さらに内山の金銭感覚をおかしくした出来事がタクシーチケットだ。プロデューサーからチケットを束で手に入れた内山は、仕事の行き帰りに使うだけでなく、鬼ごっこで逃げる時にタクシーを使っていたという。

小学4年生の内山信二


このときの仕事は、ソフトクリームを食べるだけでギャラ50万円。

そして1か月のギャラ3000万円を達成する。

しかし、ここから「成長」と言う名の自然現象で、子役としての仕事が激減していくのだった。


転落 一気にドン底へ


子役としてのピークを過ぎた内山は、ここからドン底へ落ちていく。

担任の先生に収入を聞く。


中2で内山に初めての彼女ができる。その時のデートにはお出迎え、移動はすべてタクシー。食事は小料理屋や銀座の寿司屋と中学生のデートではない。

その彼女とは、金銭感覚のズレから別れることになる。そしてどん底に落ちる決定的なことが14歳の時に起きる。それが『あっぱれさんま大先生』を卒業したことだ。

ただの性格の悪いデブとなった内山に待ち受けていたのは、友達がなく、高校も行きづらくなり中退。街をふらつくことになるが、街で会う人から「あのときは可愛かったのに」「最近テレビに出ないね」と言われた結果、引きこもりとなる。


ドン底にはさらに底があった


さらに家にあったブランド物のバッグ、ロレックス、ベンツなどが次々に消えていく。これらは内山の親が生活資金の足しに打っていったためだった。

これは子どもの金銭感覚だけでなく、親の金銭感覚までも崩壊してしまった結果だった。さらに驚いたのは貯金を全くしていなかったことだ。

内山は引きこもりを経て非行に走り、警察にもご厄介になったこともあった。しかしこのままではいけないと気づいた内山はバイトをするようになる。

ガソリンスタンド、古着屋、引っ越しなど。引っ越しのバイトは朝から晩でやったという。そのときに貰ったバイト代は1万円。そのとき、これだけやって1万円と思ったという。

そして、ここからやっと崩壊していた金銭感覚が戻ってきたのだという。


そして内山を救ったさんまの言葉とは?


こうなっても内山が芸能界を辞めなかった理由は、恩師である明石家さんまから『おい内山お前どうせヒマやろ?舞台やるから出てくれ』と言われたからだ。

そして子役でしか自分の価値を見いだせなかった内山は、現在デブキャラという新しい存在価値を見つけたという内山は今お袋さんを大事にしながら、仕事にせいを出している。



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